第四章 青春に終わりなし

23歳年下の恵子さんと結婚

63歳で娘・静香が誕生
- 東京・根津の小さな事務所で青春大学のルーツが営まれていた頃、静一郎は一人の女性と知り合い、後に人生をともに歩んでいくことになります。それが現在、銀座美容医学研究学院の学院長を務めている鈴木恵子さんです。恵子さんは、公私ともに静一郎を力強く支えてくれた、草創期からのパートナーでした。妻・一子を亡くした後、静一郎は10年もの間再婚をせず、予防医学の普及に一身を捧げていました。
- ところが63歳になったある日、恵子さんから衝撃の告白を受けます。赤ちゃんが出来た・・・。「この歳になってまさか」静一郎は前の会社をやっていたときに、大腸がんだけでなく40代から高血圧、糖尿病を患っていました。そのことを考えれば60を過ぎたらとっくに現役引退です。恵子さんも当時40歳前、すでに高齢出産の分類に入る頃。その静一郎と恵子さんが子供を授かることができたのも、まさしくせきずい活性法の副産物といえます。
- かくして静一郎は23歳年下の恵子さんと、63歳にして「できちゃった婚」をすることになったのです。披露宴からほどなくして赤ちゃんが生まれることになるのですが、そのときにも静一郎らしいエピソードがあります。長女・志津子さんにも、同じタイミングで赤ちゃんができました。恵子さんと志津子さんは一緒に東京日立病院へ出産のために入院。恵子さんが娘・静香ちゃんを産み落としたその翌日に、志津子さんが静一郎の孫娘・ドレミちゃんを産み落とすことになりました。一日違いのおばさんと姪がここに誕生しました。
- 63歳で生まれた娘が成人を迎える時、静一郎は83歳になります。「これはどうしても現役で頑張るしかないぞ」そう思った静一郎はとんでもない目標を作りました。
「娘が成人を迎えたら、私はもう一度子供を作るぞ」
さすがにその時点では恵子さんは60歳ですから子供はちょっと難しい。そこで代理妻を新聞広告で募集する。子作りに参加してくれたら5千万円、見事出産してくれたら5千万円、さらにその子を養子縁組させてくれたら4億円、合わせて5億円を代理妻にお礼として差し上げようというのです。
- それまで静一郎は財産を蓄えるということを毛嫌いして、株も土地も持たないことを潔いと考えていました。でも新たな目標に向かって、貯金を始めました。取引先の朝日信用金庫にお願いして特別の定期預金を作ってもらいました。その名も「83歳満期代理妻定期預金」(本当にその名称で通帳を作っているのです)。その目標に向かって今日も静一郎は仕事を励むわけです。
- さらに静一郎のパワーはどんどん上がっていきます。68歳のとき、青春大学の新年会で爆弾宣言をしました。
「私は、70歳を過ぎたら、演歌歌手としてデビューします。そして日本の演歌界に革命をおこします!」
日本の歌謡界の長い歴史の中でも、大手のレコード会社から70歳でデビューした新人など聞いたことがありません。また静一郎はもともとオンチとして有名だったのです。
- さらに静一郎の目標は膨らみます。
「デビュー3年で、NHK紅白歌合戦に出場するんだ」
星の数ほどいる歌手の中で紅白に出られるのはごく一部です。そのトップ歌手になろうというのです。静一郎は本気です。
- なぜ歌手デビューし、紅白を目指すのでしょう。静一郎は今の日本を憂えています。日本人はバブル崩壊後自信を失い、その実力を発揮できなくなっています。特に高齢化社会となっていくこれからの日本では、中高年が元気を無くせば日本も元気がなくなる。
「70歳になってもここまでやれるんだよ」その姿を見せて、中高年の応援団になろうというのです。
- 青春に終わりなし。言葉で言うはたやすく、本当に青春を生きている人は、若いたちを含めて、なんと少ないことか。自分が歌う姿を見て、年齢は関係ない。やろうと思えばいくつになってからでも夢はかなうんだ。そのことにたくさんの人が気付いてくれれば、そのとき初めて静一郎が歌手デビューした目的を果たすことになるのです。
- 紅白出場を果たしたら、次の夢はなんでしょうね・・・。