「26回死に損なった・・・」玉村静一郎は波乱万丈の人生をそう語ります。ラジオやステージで陽気な姿を見ていると、とてもそんな辛い過去は想像できません。しかしその人生経験こそが今の「玉ちゃん」の原動力であり、驚異的な若さとパワーの秘訣なのです。
 
玉村静一郎は、昭和7年11月16日、東京都江東区深川高橋にて、昭和の良寛様と慕われた人の良いつげ職人の父・清之介と、愛知県の豪農の生まれで激しい気性の母・こ志津との間で、二男二女の長男として生まれました。
 
自分のことはそっちのけで、他人のことばかり考えてしまう性格は父親譲り。これが後に事業では災いとなり、2度の倒産を引き起こすことになったのですが、母の岩をも通す強烈な精神力もまた、決してあきらめない今の「玉ちゃん」を形成していると言えます。


玉ちゃん生誕時・
父母、姉とともに
昭和20年3月、東京の下町が大空襲で火の海となったとき、小学6年生の静一郎少年の家の周辺も文字通り地獄絵図と化しました。自宅は炎上し、親子5人でようやく隅田川にたどり着いたその目の前で、今さっき乗り損ねただるま船が炎上、まさに間一髪のところで助かったのです。

昭和24年、キティ台風が東京を直撃し、16万棟の家屋が倒壊、死者・行方不明者160人を出したとき、17歳の静一郎少年もまた洪水の濁流に飲み込まれました。幼い妹と弟を抱えて今にもなくなりそうな意識の中、地元の青年に助け出されたのもまた奇跡的でした。

静一郎には姉・啓子がいました。啓子は下町小町といわれるほどの美人で、映画『愛染かつら』に出演したほどでしたが、19歳のときに結核で若くして病死しました。そして同じ病魔が静一郎少年を襲ったのが高校卒業の年のことでした。
「ぼくは自力で肺結核を治してみせる」と宣言し、毎朝5時からNHKラジオで流れていたラジオ治療講座を聞き始めました。そして6ヶ月で自力で治してしまいました。このとき既に、今の「玉ちゃん」に通じる精神力の強さが芽生えていました。

以下続く

 最終更新日 07/01/29
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