ラジオといえば今では100円ショップでも買えるほど身近なものになりましたが、玉村静一郎の少年時代、ラジオは高級品でした。当時、普通の人の給料が200円〜300円だったとき、ラジオは2000円〜3000円したというから、今のプラズマディスプレイよりも高価だったと考えられます。
 
「うちの納戸にあったラジオ、貸してあげるよ。壊れているけど」と近所のおばちゃんから借りてきたラジオを手にしたときから静一郎少年の運命は変りました。「家族にラジオを聴かせてあげたい」という一念のもと、悪戦苦闘の末、機械の知識などまったくなかったのにも関わらず、高校生の静一郎少年はこのラジオを直してしまったのです。

NHKの雑誌から取材がきて「天才ラジオ少年現る」と報道され、近所からラジオの修理依頼が殺到してきました。これがきっかけとなり家電修理・家電販売の会社を興し、のちの従業員400名のタマムラ中央株式会社が誕生しました。
 
ポケットベルが日本に入ってきたときに採用第一号の会社となったり、カラーテレビが売り出されて間もない頃に小売販売日本一を13年間も続けたり、さらに48人もの社長を育てたりするなど、若き静一郎社長の活躍は止まるところを知りませんでした。

テレビ朝日「新時代の中小企業」と言う番組で成長率200%驚異の企業として紹介され、全国の経営者から大きな反響がきました。また愛川欣也が司会の日本テレビ「11PM」では、静一郎の型破りの人間性が紹介されました。「若手の敏腕社長なのに、人間性豊かで話が面白い」と評判になり、全国から講演依頼が殺到、講演料は100万円に跳ね上がりました。
 

成功の絶頂にいたとき、思いも寄らなかった不幸が静一郎を襲いました。昭和51年、43歳のとき、大腸がんが発見されたのです。すでに末期に近く手術をしても助かる見込みは五分五分。死の影におびえる社長は経営の熱意を失い、程なくしてタマムラ中央は倒産に至ります。債権者会議で吊るし上げられ、自宅には借金取りが押し寄せ、カギをこじ開けられて家具調度品は片っ端から差し押さえられました。

マスコミが注目話題の青年社長

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 「新時代の中小企業」で成長率200%驚異の企業としてテレビ出演

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成長率200%驚異の
企業としてテレビ出演

亡妻・一子(右)と長男・一郎、長女・志津子

亡妻・一子(右)と
長男・一郎、
長女・志津子

もう大腸がんなんてかまっていられません。再起をかけて会社を興しますが失敗と苦難の連続。妻・一子はパートに出て生活費をかせぎ、家族でその日を生きるのが精一杯になりました。そんなある日、その最愛の妻が交通事故で即死するに至ります。享年50歳。「この世に神はいないのか!」静一郎は天をも呪いました。

このように、玉村静一郎の人生は、50歳にして終わりを告げたかに見えました。

 
以下続く

 最終更新日 07/01/29
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